囲碁 – 辺の四死六生・六死八生

辺の四死六生

基本死活の基本。隅にかかる辺の四子~六子並び。

  • 四子は先手でも死
  • 五子は先手なら生き、後手なら死
  • 六子は後手でも生き

四子は、先手でも生きていない。

 

 

五子の場合は、先手なら生き、後手だと死。

 

 

六子の場合は後手でも生き。まず、外から狭めてきた場合。

 

 

中に打ち込んできた場合。

 

 

辺の六死八生

辺の六子~八子並び。

  • 六子は先手でも死
  • 七子は先手なら生き、後手だと死
  • 八子は後手でも生き

六子は先手でも生きない。

 

 

七子は先手だと生き。

 

 

七子で後手だと生きない。

 

 

八子は後手でも生き。まず外から狭めてきた場合。

 

 

中に打ち込んできた場合。

 

 

 

 

囲碁 – 隅の曲がり四目

基本形

隅の曲がり四目は、日本棋院囲碁規約(平成元年四月)の第七条-2において「死」とされている。

第九条の「対局の停止」後での、死活確認の際における同一の劫での取り返しは、行うことができない。ただし劫を取られた方が取り返す劫のそれぞれにつき着手放棄を行った後は、新たにその劫を取ることができる。

 

 

隅の曲がり四目になる形

第1形

 

 

第2系

 

 

第3系

 

 

隅の曲がり四目にならない形

 

 

 

 

囲碁 – 定石後:三々入りの死活

手抜き

単独三々入りの場合、入った方は外側からの一手に手を抜くことができる。

 

 

死活

ハネた側から入り込んできた場合。

 

 

2の一へのオキ(1)。

 

 

2の一へのオキ(2)。

 

 

2の二へのオキ。

 

 

逆側からハネてきても生き。

 

 

 

囲碁 – 中手の手数

概要

中手の手数を知っておくと、詰碁などで役に立つ。

たとえば次のケースでは白のダメが8つあいている。五目中手の手数が8手と知っていれば、黒から右の一団を五目中手の形にして攻め合いに勝てることがわかる。

 

 

目数と手数

目数とその一団を殺すまでの手数の対応は以下の通り。

一目 1
二目 2
三目 3
四目(三菱/団子) 5
五目(中手/花五) 8
六目中手  12

確認

一目~1手

これは当たり前。

 

 

二目~2手

これも当たり前。ただし1手目を打ち込まれた石を抜くとその後すぐに死となるので、付き合わない前提。

 

 

三目中手~3手

これは1手打ち込んだ後、次の手の交換で二目になるので、1手+二目の2手で3手。

 

 

四目~5手

四目で殺せるのは団子と三菱の二通り。どちらの場合も四目は2手打った後の交換で三目になるので、2手+三目の3手で5手。

団子

 

 

三菱

 

 

五目中手

五目中手を詰めていって四目になるまでに3手。そこから四目の手数は5手だから、五目中手を殺す手数は3手+5手で8手。

 

 

六目中手

六目中手を詰めていって五目になるまでに4手。そこから五目の手数は8手だから、六目中手を殺す手数は4手+8手で12手。

 

 

数学的な考え方

ある目数nから相手が連続して詰めていって、取られる前に詰められた石を抜くと目数がn-1になる。

目数nの時の手数をa_nとすると、取られる前の交換はカウントしないので、以下の漸化式が得られる。

(1)    \begin{eqnarray*} a_n - a_{n - 1} &=& n - 2 \quad (n \geq 3)\\ a_2 &=& 2 \end{eqnarray*}

(2)    \begin{eqnarray*} a_n &=& a_{n - 1} + (n - 2) \\ &=& a_{n - 2} + (n - 3) + (n - 2) \\ &\cdots&  \\ &=& 2 + 1 + 2 + 3 + \cdots + (n - 2) \\ &=& 2 + \frac{(n - 2)(n - 1)}{2} \quad (n \geq 2) \end{eqnarray*}

漸化式の定義時はn \geq 3の条件だったが、n \geq 2でも成り立ち、冒頭の表の6目中手まで整合していることが確認できる。

中手が問題になるのは6目以下であり、現実的には手数を2, 3, 5, 8, 12と覚えておけばよく、この計算はあくまで趣味の範囲。

 

囲碁 – 定石はずれ:一間バサミからの三々

一間バサミから三々に入った後、三つ伸びずにハネるのはよくない。

 

 

上手が様子を見るのに敢えてハネる場合、サガリに対して以下の進行が最善で、三々に入った白よし。

 

 

 

囲碁 – 定石:一間バサミから三々入り

分断

小ゲイマカカリに対して一間バサミから三々に入られたとき、かかった石と入った石を分断して外勢を張る定石。

三々に入られた側が分断して外勢を張りながら先手を取れる。

 

 

黒が伸びずにハネた場合の定石はずれはこちら

閉じ込め

基本形

たとえば黒△の援軍があるところに白Aとカカリ、黒Bのハサミに白Cと三々に飛び込んだ時。

この場合は三々に入られて閉じ込めた方が後手になるので、向かい側に友軍がいる方がよい。

 

 

白が突き出したとき

白が鉄柱にせずに突き出してきたときは、切った石を捨て石にして外勢を張る。切る順が逆になると白が好形になる。

 

 

白が下がったとき

白が鉄柱にせず下がったとき。

 

 

囲碁 – 定石:単独の三々入り

閉じ込め

基本形

単独で三々に入った場合、布石によって厚みが期待できるなら押さえる方向を選択。外勢を張るが後手になる。

  • 三々に入って生きた方が先手
  • 押さえて外勢を張った方が後手

入った方が生きてから先手で他へ回る。

 

 

定石はずれはこちら

三々入り後の死活はこちら

デギリ対策

デギリは無理。「グルグルマワシ」が痛快。

 

 

二段バネ

基本形

黒が伸びずに二段にハネる定石で、外勢を張りながら先手を取る方法と、後手になるが外勢と実利をある程度とる方法がある。

 

 

先手で外勢を張る場合

先手で外勢を張りたいときの打ち方。

 

 

後手で外勢と実利を取る場合

外勢と実利の両方を取りたい場合。後手になる。

 

 

 変化~分かれ

二段バネに対して反対側をハネて、守らずに切ってくるケース。

 

 

 

囲碁 – 定石はずれ:単独の三々

三々・閉じ込めの定石はずれ

黒が三つ伸びずにハネた場合

その後の影響が大きい、と折角切った石が無駄になる場合。

 

 

切られた後に這った場合。まず伸びる手。

 

 

這いに対して単に切る手。

 

 

より確実に咎める場合。

 

 

守らずにダメを詰めて来たら、外勢を張る。

 

 

黒が反対側をハネた場合

白は抜け出ることができる。

 

 

白がハネずに切り違えてきた場合

 

 

 

 

日本語の語源

 

a
a
あへなし
竹取物語より。右大臣阿倍ご主人が等の商人から購入した火鼠の皮衣を焼くと燃えてしまったことから、やり遂げられないことを「あへなし」と言うようになった。
a
a
a
a
夜這い
竹取物語より。かぐや姫を覗き見ようと、公達は夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、のぞき込むほど夢中になったことから、女性に求婚することを「よばひ」と言うようになった。
a
a

 

歴史年表 – 室町時代

室町時代

西暦 和暦 日本 外国
1333 後醍醐天皇の皇子、護良親王が征夷大将軍となる
1334 後醍醐天皇による建武の新政~延喜・天暦の治
1335 07月、中先代の乱~足利尊氏が北条時之を滅ぼす
12月、箱根・竹ノ下の戦い~足利尊氏が新田義貞を破る/以降、延元の乱
1336 01月、足利尊氏入京、後醍醐天皇は比叡山へ
1336 02月、豊島河原合戦~足利尊氏vs新田義貞・北畠顕家→尊氏が九州へ敗走
05月、湊川の戦い~足利尊氏・直義vs新田義貞・楠正成→尊氏が勝利
06月、足利尊氏が入京
08月、光明天皇が即位(北朝)
11月、尊氏が御成敗式目を定める
12月、後醍醐天皇は吉野へ(南朝)
以後、南北朝時代へ
1338 05月、石津の戦い~北畠顕家(南朝)vs高師直(北朝)→北朝の勝利
07月、藤島の戦い~新田義貞(南朝)vs斯波高経(北朝)→北朝の勝利
08月、足利尊氏が征夷大将軍となる
1342 天龍寺船が元(モンゴル)に渡航・貿易
1348 四条畷の戦い~楠正行(南朝)vs高師直(北朝)→北朝の勝利
1349 鎌倉府設置~初代長官(鎌倉公方)は足利基氏/補佐役として関東管領が置かれ、主に上杉一族が世襲
1350 観応の擾乱~足利政権の内乱~1352まで
1352 守護が年貢の半分を徴発可能とし、以後、守護大名へと発展
1358 足利尊氏死去
1359 12月、足利義詮が第2代将軍となる
1368 足利義満が第3代将軍となる
1370 この頃までに「太平記」がまとめられる
前期倭寇の時代
1378 足利義満が京都室町通に花の御所を造営
1379 天授5/康暦1 康暦の政変~室町幕府管領の細川頼之が失脚
1392 明徳3/元中9 閏10.5(JD11.19)明徳の和約~南北朝の合一/南朝の後亀山天皇が吉野から京都に帰還し、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って退位
1394 足利義満が太政大臣となる
1397 足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺)を建立
1401 明との国交の開始~民からの国書では足利義満が日本国王
1404 勘合貿易の開始
1419 応永の外寇~李氏朝鮮による対馬侵攻
1428 正長1 8月~9月、正長の土一揆~農民による初の一揆・私徳政
1429 正長2 2月、播磨の国一揆~政治的要求
3.15、足利義教が第6代将軍に~石清水八幡宮での籤引き・万人恐怖
尚巴志が三山統一により琉球王国を建国
1432 上杉憲実が足利学校を再興
1435 比叡山延暦寺の変
1441 6.24、嘉吉の乱~赤松満祐が足利義教を暗殺
嘉吉の土一揆~徳政令
1443 足利義政が8代目将軍となる~正室は日野富子
1455 享徳3 12.27(1.15AD)、享徳の乱~鎌倉公方と関東管領の内乱
1457 康生3/長禄1 コシャマインの戦い~和人に対するアイヌの武装蜂起
1466 文正1 9.6、文正の政変~足利義政は側近を失い将軍権力は衰退→応仁の乱へ
1467 応仁1 応仁の乱~端緒は1.18(2.22AD)の御霊合戦
1477 文明9 応仁の乱の終結~幕府による「天下静謐」の祝宴→戦国時代へ
1485 文明17 山城国一揆~国人・農民による8年間の自治
1487 長享1 長享の乱~山内・扇谷両上杉家の戦い~太田道灌暗殺と北条早雲の躍進