鎌倉時代
西暦 | 和暦 | 日本 | 外国 |
1185 | 源頼朝が全国に守護・地頭を置く~義経の捕縛名目 | ||
1189 | 文治5 | 閏4.30、奥州合戦で奥州藤原氏・源義経が滅亡 | |
1191 | 栄西が臨済宗を伝える | ||
1192 | 建久3 | 3月、源頼朝が征夷大将軍となる | |
1199 | 建久10 | 1.13、源頼朝が死去し、源頼家が第2代将軍となる~母は北条政子 | |
1200 | 梶原景時の変~鎌倉幕府内部の権力闘争の始まり 13人の合議制の開始 |
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1203 | 建仁3 | 源頼家が伊豆国修善寺に護送 源実朝(千幡)が第3代将軍となる~母は北条政子 北条時政が鎌倉幕府の執権となる~執権政治の始まり 運慶・快慶が東大寺南大門の金剛力士像をつくる |
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1204 | 元久1 | 7.18、源頼家が暗殺される | |
1205 | 元久2 | 閏7.20、牧氏事件~北条義時・政子が北条時政・牧の方に勝ち、義時が執権となる | |
1219 | 源実朝が鶴岡八幡宮で公暁(源頼家の子)に暗殺される | ||
1221 | 承久の乱~北条義時が後鳥羽上皇に勝つ 京都に六波羅探題設置 |
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1224 | 北条義時が死去、子の泰時が執権となる 親鸞が浄土真宗を伝える |
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1225 | 北条政子が死去 | ||
1226 | 藤原頼経が第4代将軍となる~摂家将軍の開始 | ||
1227 | 道元が曹洞宗を伝える | ||
1230 | 寛喜2 | 寛喜の飢饉~12.31 | |
1232 | 北条泰時が御成敗式目を制定 | ||
1235 | 文歴2 | 藤原定家の小倉百人一首が書き送られる~諸説あり | |
1242 | 北条泰時が死去、北条経時が執権となる | ||
1246 | 北条経時が死去、北条時頼が執権となる | ||
1247 | 宝治合戦により執権北条市が御家人三浦氏を滅ぼす | ||
1252 | 鎌倉大仏(阿弥陀如来像)建立 | ||
1253 | 日蓮が日蓮宗を伝える | ||
1268 | 北条時宗が第8代執権となる モンゴル帝国・元からの服属要求を拒否 |
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1272 | 二月騒動(北条氏一門の内紛)、時宗の得宗家の権力強化 | ||
1274 | 文永11 | 元寇・文永の役~10.5元軍が対馬の小茂田浜に襲来 時宗開宗~一遍 |
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1281 | 弘安4 | 元寇・弘安の役~5.21東路軍が対馬の世界村大明浦に上陸 | |
1282 | 北条時宗が円覚寺舎利殿を建立 | ||
1284 | 北条貞時が第9代執権となる | ||
1293 | 正応6 | 4.12(AD5.19)鎌倉大地震 4.22(AD5.29)平生門の乱 |
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1297 | 永仁5 | 永仁の徳政令~日本で初めての徳政令 | |
1305 | 嘉元の乱~北条宗方の乱 | ||
1317 | 文保1 | 文保の和談~両統迭立の流れ | |
1318 | 後醍醐天皇が即位~初代南朝天皇 | ||
1324 | 正中の変~後醍醐天皇による倒幕計画の失敗 | ||
1330 | この時期、吉田兼好により徒然草が執筆される | ||
1331 | 元弘の乱~後醍醐天皇による倒幕計画の失敗、楠正成らが挙兵 | ||
1331 | 9月、光厳天皇が即位~初代北朝天皇 | ||
1332 | 後醍醐天皇が隠岐に流刑~翌年に脱出 | ||
1333 | 元弘3・正慶2 | 05.07足利尊氏が六波羅探題を陥落 05.22新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時)へ攻め込む 鎌倉幕府滅亡 |