一間バサミから三々に入った後、三つ伸びずにハネるのはよくない。
上手が様子を見るのに敢えてハネる場合、サガリに対して以下の進行が最善で、三々に入った白よし。
一間バサミから三々に入った後、三つ伸びずにハネるのはよくない。
上手が様子を見るのに敢えてハネる場合、サガリに対して以下の進行が最善で、三々に入った白よし。
小ゲイマカカリに対して一間バサミから三々に入られたとき、かかった石と入った石を分断して外勢を張る定石。
三々に入られた側が分断して外勢を張りながら先手を取れる。
黒が伸びずにハネた場合の定石はずれはこちら
たとえば黒△の援軍があるところに白Aとカカリ、黒Bのハサミに白Cと三々に飛び込んだ時。
この場合は三々に入られて閉じ込めた方が後手になるので、向かい側に友軍がいる方がよい。
白が鉄柱にせずに突き出してきたときは、切った石を捨て石にして外勢を張る。切る順が逆になると白が好形になる。
白が鉄柱にせず下がったとき。
単独で三々に入った場合、布石によって厚みが期待できるなら押さえる方向を選択。外勢を張るが後手になる。
入った方が生きてから先手で他へ回る。
デギリは無理。「グルグルマワシ」が痛快。
黒が伸びずに二段にハネる定石で、外勢を張りながら先手を取る方法と、後手になるが外勢と実利をある程度とる方法がある。
先手で外勢を張りたいときの打ち方。
外勢と実利の両方を取りたい場合。後手になる。
二段バネに対して反対側をハネて、守らずに切ってくるケース。
その後の影響が大きい、と折角切った石が無駄になる場合。
切られた後に這った場合。まず伸びる手。
這いに対して単に切る手。
より確実に咎める場合。
守らずにダメを詰めて来たら、外勢を張る。
白は抜け出ることができる。
西暦 | 和暦 | 日本 | 外国 |
1333 | 後醍醐天皇の皇子、護良親王が征夷大将軍となる | ||
1334 | 後醍醐天皇による建武の新政~延喜・天暦の治 | ||
1335 | 07月、中先代の乱~足利尊氏が北条時之を滅ぼす 12月、箱根・竹ノ下の戦い~足利尊氏が新田義貞を破る/以降、延元の乱 |
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1336 | 01月、足利尊氏入京、後醍醐天皇は比叡山へ | ||
1336 | 02月、豊島河原合戦~足利尊氏vs新田義貞・北畠顕家→尊氏が九州へ敗走 05月、湊川の戦い~足利尊氏・直義vs新田義貞・楠正成→尊氏が勝利 06月、足利尊氏が入京 08月、光明天皇が即位(北朝) 11月、尊氏が御成敗式目を定める 12月、後醍醐天皇は吉野へ(南朝) 以後、南北朝時代へ |
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1338 | 05月、石津の戦い~北畠顕家(南朝)vs高師直(北朝)→北朝の勝利 07月、藤島の戦い~新田義貞(南朝)vs斯波高経(北朝)→北朝の勝利 08月、足利尊氏が征夷大将軍となる |
||
1342 | 天龍寺船が元(モンゴル)に渡航・貿易 | ||
1348 | 四条畷の戦い~楠正行(南朝)vs高師直(北朝)→北朝の勝利 | ||
1349 | 鎌倉府設置~初代長官(鎌倉公方)は足利基氏/補佐役として関東管領が置かれ、主に上杉一族が世襲 | ||
1350 | 観応の擾乱~足利政権の内乱~1352まで | ||
1352 | 守護が年貢の半分を徴発可能とし、以後、守護大名へと発展 | ||
1358 | 足利尊氏死去 | ||
1359 | 12月、足利義詮が第2代将軍となる | ||
1368 | 足利義満が第3代将軍となる | ||
1370 | この頃までに「太平記」がまとめられる 前期倭寇の時代 |
||
1378 | 足利義満が京都室町通に花の御所を造営 | ||
1379 | 天授5/康暦1 | 康暦の政変~室町幕府管領の細川頼之が失脚 | |
1392 | 明徳3/元中9 | 閏10.5(JD11.19)明徳の和約~南北朝の合一/南朝の後亀山天皇が吉野から京都に帰還し、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って退位 | |
1394 | 足利義満が太政大臣となる | ||
1397 | 足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺)を建立 | ||
1401 | 明との国交の開始~民からの国書では足利義満が日本国王 | ||
1404 | 勘合貿易の開始 | ||
1419 | 応永の外寇~李氏朝鮮による対馬侵攻 | ||
1428 | 正長1 | 8月~9月、正長の土一揆~農民による初の一揆・私徳政 | |
1429 | 正長2 | 2月、播磨の国一揆~政治的要求 3.15、足利義教が第6代将軍に~石清水八幡宮での籤引き・万人恐怖 尚巴志が三山統一により琉球王国を建国 |
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1432 | 上杉憲実が足利学校を再興 | ||
1435 | 比叡山延暦寺の変 | ||
1441 | 6.24、嘉吉の乱~赤松満祐が足利義教を暗殺 嘉吉の土一揆~徳政令 |
||
1443 | 足利義政が8代目将軍となる~正室は日野富子 | ||
1455 | 享徳3 | 12.27(1.15AD)、享徳の乱~鎌倉公方と関東管領の内乱 | |
1457 | 康生3/長禄1 | コシャマインの戦い~和人に対するアイヌの武装蜂起 | |
1466 | 文正1 | 9.6、文正の政変~足利義政は側近を失い将軍権力は衰退→応仁の乱へ | |
1467 | 応仁1 | 応仁の乱~端緒は1.18(2.22AD)の御霊合戦 | |
1477 | 文明9 | 応仁の乱の終結~幕府による「天下静謐」の祝宴→戦国時代へ | |
1485 | 文明17 | 山城国一揆~国人・農民による8年間の自治 | |
1487 | 長享1 | 長享の乱~山内・扇谷両上杉家の戦い~太田道灌暗殺と北条早雲の躍進 | |
西暦 | 和暦 | 日本 | 外国 |
1185 | 源頼朝が全国に守護・地頭を置く~義経の捕縛名目 | ||
1189 | 文治5 | 閏4.30、奥州合戦で奥州藤原氏・源義経が滅亡 | |
1191 | 栄西が臨済宗を伝える | ||
1192 | 建久3 | 3月、源頼朝が征夷大将軍となる | |
1199 | 建久10 | 1.13、源頼朝が死去し、源頼家が第2代将軍となる~母は北条政子 | |
1200 | 梶原景時の変~鎌倉幕府内部の権力闘争の始まり 13人の合議制の開始 |
||
1203 | 建仁3 | 源頼家が伊豆国修善寺に護送 源実朝(千幡)が第3代将軍となる~母は北条政子 北条時政が鎌倉幕府の執権となる~執権政治の始まり 運慶・快慶が東大寺南大門の金剛力士像をつくる |
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1204 | 元久1 | 7.18、源頼家が暗殺される | |
1205 | 元久2 | 閏7.20、牧氏事件~北条義時・政子が北条時政・牧の方に勝ち、義時が執権となる | |
1219 | 源実朝が鶴岡八幡宮で公暁(源頼家の子)に暗殺される | ||
1221 | 承久の乱~北条義時が後鳥羽上皇に勝つ 京都に六波羅探題設置 |
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1224 | 北条義時が死去、子の泰時が執権となる 親鸞が浄土真宗を伝える |
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1225 | 北条政子が死去 | ||
1226 | 藤原頼経が第4代将軍となる~摂家将軍の開始 | ||
1227 | 道元が曹洞宗を伝える | ||
1230 | 寛喜2 | 寛喜の飢饉~12.31 | |
1232 | 北条泰時が御成敗式目を制定 | ||
1235 | 文歴2 | 藤原定家の小倉百人一首が書き送られる~諸説あり | |
1242 | 北条泰時が死去、北条経時が執権となる | ||
1246 | 北条経時が死去、北条時頼が執権となる | ||
1247 | 宝治合戦により執権北条市が御家人三浦氏を滅ぼす | ||
1252 | 鎌倉大仏(阿弥陀如来像)建立 | ||
1253 | 日蓮が日蓮宗を伝える | ||
1268 | 北条時宗が第8代執権となる モンゴル帝国・元からの服属要求を拒否 |
||
1272 | 二月騒動(北条氏一門の内紛)、時宗の得宗家の権力強化 | ||
1274 | 文永11 | 元寇・文永の役~10.5元軍が対馬の小茂田浜に襲来 時宗開宗~一遍 |
|
1281 | 弘安4 | 元寇・弘安の役~5.21東路軍が対馬の世界村大明浦に上陸 | |
1282 | 北条時宗が円覚寺舎利殿を建立 | ||
1284 | 北条貞時が第9代執権となる | ||
1293 | 正応6 | 4.12(AD5.19)鎌倉大地震 4.22(AD5.29)平生門の乱 |
|
1297 | 永仁5 | 永仁の徳政令~日本で初めての徳政令 | |
1305 | 嘉元の乱~北条宗方の乱 | ||
1317 | 文保1 | 文保の和談~両統迭立の流れ | |
1318 | 後醍醐天皇が即位~初代南朝天皇 | ||
1324 | 正中の変~後醍醐天皇による倒幕計画の失敗 | ||
1330 | この時期、吉田兼好により徒然草が執筆される | ||
1331 | 元弘の乱~後醍醐天皇による倒幕計画の失敗、楠正成らが挙兵 | ||
1331 | 9月、光厳天皇が即位~初代北朝天皇 | ||
1332 | 後醍醐天皇が隠岐に流刑~翌年に脱出 | ||
1333 | 元弘3・正慶2 | 05.07足利尊氏が六波羅探題を陥落 05.22新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時)へ攻め込む 鎌倉幕府滅亡 |
西暦 | 和暦 | 日本 | 外国 |
794 | 桓武天皇が平安京に遷都 | ||
797 | 坂上田村麻呂が征夷大将軍になる | ||
804 | 最澄・空海が唐にわたる | ||
805 | 最澄(伝教大師)が帰国、天台宗を伝える→比叡山に延暦寺を建立 | ||
806 | 空海(弘法大師)が帰国、真言宗を伝える→高野山に金剛峰寺を建立 | ||
807 | 伊予親王の変 | ||
810 | 薬子の変~平城上皇に嵯峨天皇が勝ち、藤原冬嗣が蔵人頭に | ||
816 | 検非違使が置かれる | ||
842 | 承和の変~藤原良房による他氏排斥 | ||
858 | 藤原良房が人臣(後続以外)で初めて太政大臣、摂政となる | ||
864 | 【災害】貞観大噴火(富士山) | ||
866 | 応天門の変~藤原良房により伴氏が流刑に | ||
869 | 【災害】貞観地震 | ||
887 | 藤原基経が初の関白となる | ||
894 | 菅原道真の建議による遣唐使の中止→国風文化へ | ||
901 | 昌泰の変~菅原道真が太宰府に左遷 | ||
905 | 延喜5 | 4/18、古今和歌集が奏上される~紀貫之ら | |
935 | 土佐日記~紀貫之 | ||
940 | 天慶2 | 11.20(AD1.3)平将門の乱~常陸国府陥落 12月、藤原純友の乱 |
|
960 | 中国で宋が建国 | ||
975 | 蜻蛉日記~藤原道綱の母 | ||
995 | 藤原道長が右大臣となる | ||
996 | 長徳2 | 枕草子が広められる | |
1008 | 寛弘5 | 紫式部日記に源氏物語らしき冊子づくりの記述 | |
1016 | 藤原道長が摂政となる→摂関政治 | ||
1017 | 藤原頼道が摂政となる | ||
1019 | 寛仁3 | 刀伊の入寇(女真族らの海賊が筑前に侵攻) | |
1051 | 永承6 | 前九年の役 | |
1053 | 藤原頼道が平等院鳳凰堂を建立 | ||
1083 | 後三年の役~清原一族・源義家 | ||
1086 | 白河上皇による院政開始 | ||
1095 | 白河上皇が院に北面の武士を置く | ||
1096 | 白河上皇が出家して白河法皇となる | ||
1105 | 藤原清衡が平泉に中尊寺を建立 | ||
1129 | 鳥羽上皇の院政開始 | ||
1156 | 保元の乱 | ||
1158 | 後白河天皇の院政開始 | ||
1159 | 平治の乱~平清盛が源義朝を打ち、頼朝は伊豆に流される | ||
1167 | 平清盛が武士で初めて太政大臣になる 日宋貿易の開始 |
||
1175 | 法然が浄土宗を開く | ||
1180 | 福原に遷都 | ||
1181 | 養和の飢饉 2月、平清盛が病死 |
||
1183 | 7月、木曽の源義仲が平氏を攻めて入京 10月、水島の戦いで義仲が平氏に破れ 10月、源頼朝が朝廷より東国支配権の宣旨を受ける |
||
1184 | 2月、一の谷の戦い~源範頼・義経が平氏に勝利 | ||
1185 | 2月、屋島の戦い~源義経が平氏に勝利 3月、壇ノ浦の戦い~源の義経が平氏を滅ぼす |
西暦 | 和暦 | 日本 | 外国 |
710 | 元明天皇が平城京に遷都 | ||
712 | 古事記編纂~稗田阿礼・太安万侶ら | ||
713 | 和銅6 | 5.30、風土記編纂が命ぜられる | |
717 | 霊亀3養老1 | 第9次遣唐使~阿倍仲麻呂・吉備真備ら | |
718 | 養老律令制定~藤原不比等ら | ||
720 | 養老4 | 日本書紀完成~舎人親王・太安万侶 | |
723 | 養老7 | 三世一身の法が発布 | |
724 | 聖武天皇が即位 | ||
729 | 神亀6 | 長屋王の変 | |
741 | 天平13 | 聖武天皇による国分寺建立の詔 | |
743 | 天平15 | 5.27(AD6.23)、聖武天皇による墾田永年私財法の勅 | |
752 | 東大寺の大仏完成 | ||
754 | 鑑真来日 | ||
756 | 正倉院建立 | ||
759 | 天平宝字3 | 万葉集第4期の編纂 | |
765 | 道鏡が太政大臣禅師となる | ||
770 | 道鏡が下野に流される 阿倍仲麻呂が73歳で客死 |
||
781 | 桓武天皇が即位 | ||
784 | 長岡京に遷都 |
西暦 | 和暦 | 日本 | 外国 |
574 | 厩戸王(聖徳太子)誕生 | ||
587 | 7月、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす(丁未の乱~ていび) | ||
589 | 隋が中国を統一 | ||
593 | 厩戸王が推古天皇の摂政となる | ||
603 | 冠位十二階を定める | ||
604 | 十七条の憲法を定める | ||
607 | 推古15 | 遣隋使・小野妹子を隋に派遣 法隆寺創建 |
|
618 | 唐が中国を統一 | ||
622 | 厩戸王が死去 | ||
630 | 遣唐使派遣 | ||
645 | 中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を滅ぼす(乙巳の変~おっしorいっし) 大化の改新の詔(公地公民の制、班田収授法) |
||
663 | 白村江の戦い | ||
667 | 大津宮に遷都 | ||
668 | 中大兄皇子が即位(天智天皇)→近江令・庚午年籍(こうごのねんじゃく) | ||
671 | 天智天皇死去 | ||
672 | 壬申の乱~大海人皇子が天武天皇となる | ||
681 | 天武天皇による律令制定の詔 | ||
694 | 持統天皇が飛鳥の藤原京に遷都 | ||
698 | 文武天皇2 | 阿倍仲麻呂が大和国に生まれる | |
701 | 大宝律令制定~刑部(おさかべ)親王・藤原不比等ら | ||
708 | 和同開珎がつくられる |