歴史年表 – 室町時代

室町時代

西暦 和暦 日本 外国
1333 後醍醐天皇の皇子、護良親王が征夷大将軍となる
1334 後醍醐天皇による建武の新政~延喜・天暦の治
1335 07月、中先代の乱~足利尊氏が北条時之を滅ぼす
12月、箱根・竹ノ下の戦い~足利尊氏が新田義貞を破る/以降、延元の乱
1336 01月、足利尊氏入京、後醍醐天皇は比叡山へ
1336 02月、豊島河原合戦~足利尊氏vs新田義貞・北畠顕家→尊氏が九州へ敗走
05月、湊川の戦い~足利尊氏・直義vs新田義貞・楠正成→尊氏が勝利
06月、足利尊氏が入京
08月、光明天皇が即位(北朝)
11月、尊氏が御成敗式目を定める
12月、後醍醐天皇は吉野へ(南朝)
以後、南北朝時代へ
1338 05月、石津の戦い~北畠顕家(南朝)vs高師直(北朝)→北朝の勝利
07月、藤島の戦い~新田義貞(南朝)vs斯波高経(北朝)→北朝の勝利
08月、足利尊氏が征夷大将軍となる
1342 天龍寺船が元(モンゴル)に渡航・貿易
1348 四条畷の戦い~楠正行(南朝)vs高師直(北朝)→北朝の勝利
1349 鎌倉府設置~初代長官(鎌倉公方)は足利基氏/補佐役として関東管領が置かれ、主に上杉一族が世襲
1350 観応の擾乱~足利政権の内乱~1352まで
1352 守護が年貢の半分を徴発可能とし、以後、守護大名へと発展
1358 足利尊氏死去
1359 12月、足利義詮が第2代将軍となる
1368 足利義満が第3代将軍となる
1370 この頃までに「太平記」がまとめられる
前期倭寇の時代
1378 足利義満が京都室町通に花の御所を造営
1379 天授5/康暦1 康暦の政変~室町幕府管領の細川頼之が失脚
1392 明徳3/元中9 閏10.5(JD11.19)明徳の和約~南北朝の合一/南朝の後亀山天皇が吉野から京都に帰還し、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って退位
1394 足利義満が太政大臣となる
1397 足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺)を建立
1401 明との国交の開始~民からの国書では足利義満が日本国王
1404 勘合貿易の開始
1419 応永の外寇~李氏朝鮮による対馬侵攻
1428 正長1 8月~9月、正長の土一揆~農民による初の一揆・私徳政
1429 正長2 2月、播磨の国一揆~政治的要求
3.15、足利義教が第6代将軍に~石清水八幡宮での籤引き・万人恐怖
尚巴志が三山統一により琉球王国を建国
1432 上杉憲実が足利学校を再興
1435 比叡山延暦寺の変
1441 6.24、嘉吉の乱~赤松満祐が足利義教を暗殺
嘉吉の土一揆~徳政令
1443 足利義政が8代目将軍となる~正室は日野富子
1455 享徳3 12.27(1.15AD)、享徳の乱~鎌倉公方と関東管領の内乱
1457 康生3/長禄1 コシャマインの戦い~和人に対するアイヌの武装蜂起
1466 文正1 9.6、文正の政変~足利義政は側近を失い将軍権力は衰退→応仁の乱へ
1467 応仁1 応仁の乱~端緒は1.18(2.22AD)の御霊合戦
1477 文明9 応仁の乱の終結~幕府による「天下静謐」の祝宴→戦国時代へ
1485 文明17 山城国一揆~国人・農民による8年間の自治
1487 長享1 長享の乱~山内・扇谷両上杉家の戦い~太田道灌暗殺と北条早雲の躍進

歴史年表 – 鎌倉時代

鎌倉時代

西暦 和暦 日本 外国
1185 源頼朝が全国に守護・地頭を置く~義経の捕縛名目
1189 文治5 閏4.30、奥州合戦で奥州藤原氏・源義経が滅亡
1191 栄西が臨済宗を伝える
1192 建久3 3月、源頼朝が征夷大将軍となる
1199 建久10 1.13、源頼朝が死去し、源頼家が第2代将軍となる~母は北条政子
1200 梶原景時の変~鎌倉幕府内部の権力闘争の始まり
13人の合議制の開始
1203 建仁3 源頼家が伊豆国修善寺に護送
源実朝(千幡)が第3代将軍となる~母は北条政子
北条時政が鎌倉幕府の執権となる~執権政治の始まり
運慶・快慶が東大寺南大門の金剛力士像をつくる
1204 元久1 7.18、源頼家が暗殺される
1205 元久2 閏7.20、牧氏事件~北条義時・政子が北条時政・牧の方に勝ち、義時が執権となる
1219 源実朝が鶴岡八幡宮で公暁(源頼家の子)に暗殺される
1221 承久の乱~北条義時が後鳥羽上皇に勝つ
京都に六波羅探題設置
1224 北条義時が死去、子の泰時が執権となる
親鸞が浄土真宗を伝える
1225 北条政子が死去
1226 藤原頼経が第4代将軍となる~摂家将軍の開始
1227 道元が曹洞宗を伝える
1230 寛喜2 寛喜の飢饉~12.31
1232 北条泰時が御成敗式目を制定
1235 文歴2 藤原定家の小倉百人一首が書き送られる~諸説あり
1242 北条泰時が死去、北条経時が執権となる
1246 北条経時が死去、北条時頼が執権となる
1247 宝治合戦により執権北条市が御家人三浦氏を滅ぼす
1252 鎌倉大仏(阿弥陀如来像)建立
1253 日蓮が日蓮宗を伝える
1268 北条時宗が第8代執権となる
モンゴル帝国・元からの服属要求を拒否
1272 二月騒動(北条氏一門の内紛)、時宗の得宗家の権力強化
1274 文永11 元寇・文永の役~10.5元軍が対馬の小茂田浜に襲来
時宗開宗~一遍
1281 弘安4 元寇・弘安の役~5.21東路軍が対馬の世界村大明浦に上陸
1282 北条時宗が円覚寺舎利殿を建立
1284 北条貞時が第9代執権となる
1293 正応6 4.12(AD5.19)鎌倉大地震
4.22(AD5.29)平生門の乱
1297 永仁5 永仁の徳政令~日本で初めての徳政令
1305 嘉元の乱~北条宗方の乱
1317 文保1 文保の和談~両統迭立の流れ
1318 後醍醐天皇が即位~初代南朝天皇
1324 正中の変~後醍醐天皇による倒幕計画の失敗
1330 この時期、吉田兼好により徒然草が執筆される
1331 元弘の乱~後醍醐天皇による倒幕計画の失敗、楠正成らが挙兵
1331 9月、光厳天皇が即位~初代北朝天皇
1332 後醍醐天皇が隠岐に流刑~翌年に脱出
1333 元弘3・正慶2 05.07足利尊氏が六波羅探題を陥落
05.22新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時)へ攻め込む
鎌倉幕府滅亡

歴史年表 – 平安時代

平安時代

西暦 和暦 日本 外国
794 桓武天皇が平安京に遷都
797 坂上田村麻呂が征夷大将軍になる
804 最澄・空海が唐にわたる
805 最澄(伝教大師)が帰国、天台宗を伝える→比叡山に延暦寺を建立
806 空海(弘法大師)が帰国、真言宗を伝える→高野山に金剛峰寺を建立
807 伊予親王の変
810 薬子の変~平城上皇に嵯峨天皇が勝ち、藤原冬嗣が蔵人頭に
816 検非違使が置かれる
842 承和の変~藤原良房による他氏排斥
858 藤原良房が人臣(後続以外)で初めて太政大臣、摂政となる
864 【災害】貞観大噴火(富士山)
866 応天門の変~藤原良房により伴氏が流刑に
869 【災害】貞観地震
887 藤原基経が初の関白となる
894 菅原道真の建議による遣唐使の中止→国風文化へ
901 昌泰の変~菅原道真が太宰府に左遷
905 延喜5 4/18、古今和歌集が奏上される~紀貫之ら
935 土佐日記~紀貫之
940 天慶2 11.20(AD1.3)平将門の乱~常陸国府陥落
12月、藤原純友の乱
960 中国で宋が建国
975 蜻蛉日記~藤原道綱の母
995 藤原道長が右大臣となる
996 長徳2 枕草子が広められる
1008 寛弘5 紫式部日記に源氏物語らしき冊子づくりの記述
1016 藤原道長が摂政となる→摂関政治
1017 藤原頼道が摂政となる
1019 寛仁3 刀伊の入寇(女真族らの海賊が筑前に侵攻)
1051 永承6 前九年の役
1053 藤原頼道が平等院鳳凰堂を建立
1083 後三年の役~清原一族・源義家
1086 白河上皇による院政開始
1095 白河上皇が院に北面の武士を置く
1096 白河上皇が出家して白河法皇となる
1105 藤原清衡が平泉に中尊寺を建立
1129 鳥羽上皇の院政開始
1156 保元の乱
1158 後白河天皇の院政開始
1159 平治の乱~平清盛が源義朝を打ち、頼朝は伊豆に流される
1167 平清盛が武士で初めて太政大臣になる
日宋貿易の開始
1175 法然が浄土宗を開く
1180 福原に遷都
1181 養和の飢饉
2月、平清盛が病死
1183 7月、木曽の源義仲が平氏を攻めて入京
10月、水島の戦いで義仲が平氏に破れ
10月、源頼朝が朝廷より東国支配権の宣旨を受ける
1184 2月、一の谷の戦い~源範頼・義経が平氏に勝利
1185 2月、屋島の戦い~源義経が平氏に勝利
3月、壇ノ浦の戦い~源の義経が平氏を滅ぼす

歴史年表 – 奈良時代

奈良時代

 西暦 和暦 日本 外国
710 元明天皇が平城京に遷都
712 古事記編纂~稗田阿礼・太安万侶ら
713 和銅6 5.30、風土記編纂が命ぜられる
717 霊亀3養老1 第9次遣唐使~阿倍仲麻呂・吉備真備ら
718 養老律令制定~藤原不比等ら
720 養老4 日本書紀完成~舎人親王・太安万侶
723 養老7 三世一身の法が発布
724 聖武天皇が即位
729 神亀6 長屋王の変
741 天平13 聖武天皇による国分寺建立の詔
743 天平15 5.27(AD6.23)、聖武天皇による墾田永年私財法の勅
752 東大寺の大仏完成
754 鑑真来日
756 正倉院建立
759 天平宝字3 万葉集第4期の編纂
765 道鏡が太政大臣禅師となる
770 道鏡が下野に流される
阿倍仲麻呂が73歳で客死
781 桓武天皇が即位
784 長岡京に遷都

歴史年表 – 飛鳥時代

飛鳥時代

 西暦 和暦 日本 外国
574 厩戸王(聖徳太子)誕生
587 7月、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす(丁未の乱~ていび)
589 隋が中国を統一
593 厩戸王が推古天皇の摂政となる
603 冠位十二階を定める
604 十七条の憲法を定める
607 推古15 遣隋使・小野妹子を隋に派遣
法隆寺創建
618 唐が中国を統一
622 厩戸王が死去
630 遣唐使派遣
645 中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を滅ぼす(乙巳の変~おっしorいっし)
大化の改新の詔(公地公民の制、班田収授法)
663 白村江の戦い
667 大津宮に遷都
668 中大兄皇子が即位(天智天皇)→近江令・庚午年籍(こうごのねんじゃく)
671 天智天皇死去
672 壬申の乱~大海人皇子が天武天皇となる
681 天武天皇による律令制定の詔
694 持統天皇が飛鳥の藤原京に遷都
698 文武天皇2 阿倍仲麻呂が大和国に生まれる
701 大宝律令制定~刑部(おさかべ)親王・藤原不比等ら
708 和同開珎がつくられる

災害年表

 

864 貞観大噴火(富士山)
869 貞観地震
1293 正応6 04.12 鎌倉大地震(AD05.19)
 1686 貞享3 10.03  遠江三河地震 M6.5~7
1707 宝永4 宝永地震
1861 文久1 02.14 文久西尾地震 M6.0
1943 昭和18 09.10 17:36:54 鳥取地震 Mw7.0, d0km/鳥取市で震度6/死者1083~1100以上とも
1944 昭和19 12.07 13:35 昭和東南海地震 Mj7.9, d40km/御前崎・津で最大深度6/尾鷲市で津波最大9m/死不1223
1945 昭和20 01.13 03:38:23 三河地震 Mw6.6, d11km/津市で最大深度5/死2306不1126
 1946 昭和21 12.21 04:19 昭和南海地震 Mj8.0, d24km/最大深度6/串本町で津波最大6.57m/死1330不113

 

歴史年表 – Top

およそ学校の勉強から社会人生活に至るまで、「歴史」は最も苦手だった。そもそも、年代から人の名前などを記憶するのが大の苦手だったからだ。

細かいことを記憶するのは苦手だが、物事の流れを大きく捉えるのは好きなので、いつから日本や世界の歴史を並べて、自分なりにまとめてみたいと思っていた。

これからそれを実行に移してみようと思う。

日本の時代 日本の情勢 外国の情勢
旧石器時代
縄文時代
弥生時代
古墳時代
飛鳥時代 倭国から日本と名が変わり、万葉仮名が使われる。仏教・戸籍・通貨といった外国の文化・制度も採り入れられ、国郡里制度や大宝律令といった現在の統治制度の礎も定められ始めた。 外国との関係では遣隋使の派遣。
奈良時代 平城京を中心とした天平文化。藤原氏・橘氏・道鏡など特定の一族や人物が台頭。租税(租庸調)や身分制度(領民・賤民・奴婢)といった制度ができる。文化面では古事記・日本書紀・万葉集・風土記などが作られる。外国との関係では遣唐使の派遣。
平安時代 藤原氏一族による摂関政治に始まり、次いで上皇による院政、平氏・源氏といった武士による政治が続く。制度的には墾田永年私財法から寄進荘園・荘官の増加。国風文化が栄え、かな文字が考案され女性に用いられる。伊勢物語・竹取物語・源氏物語・枕草子など。仏教は真言宗・天台宗・浄土宗など現在でも大きな宗派が伝えられる。外国との関係は、菅原道真により遣唐使が廃止されたが、平清盛の時代はに日宋貿易が盛んになる。
鎌倉時代 源頼朝が征夷大将具となり鎌倉幕府を開くが、源氏は3代までで、その後北条氏の執権政治となる。その間、南朝・北朝の両統迭立が始まり、14代の執権政治のあと、後醍醐天皇が台頭。将軍と御家人、支配機構は問注所・政所・侍所。朝廷(公:国司・荘官)と幕府(武:守護・地頭)の二元支配。外国との関係では、元寇を経験。文化面では武家造・彫刻、平家物語、新古今和歌集、徒然草など。
室町時代 後醍醐天皇による建武の新政
安土桃山時代
江戸時代
明治時代
大正時代
昭和時代
平成時代

 

真珠湾攻撃

Attack on Pearl Harbor

概要

ハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃。

太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦で、イギリスの植民地のマレー半島のイギリス軍に対するマレー作戦に次いで開始された作戦。

ハワイ現地時刻+19:30=日本時刻 → 現地が日本の1日前の4:30後

作戦開始まで

時期 事 象
1898(M31) アメリカがハワイを併合。
1908(M41) オアフ島真珠湾にアメリカ海軍基地設置。
1910(M11) 山本英輔海軍少佐が斎藤実海軍大臣に真珠湾の港湾部図面を提出。
1932(S07) Harry E Yarnellアジア艦隊司令官が空母レキシントンとサラトガでオアフ島沖96km海上から真珠湾を奇襲する模擬訓練を実施。
1939(S14) 山本五十六海軍大将が連合艦隊司令長官に就任。
1940(S15)
5月 太平洋艦隊の主力が真珠湾に駐留開始。この危険性についてJames O Richardson艦隊司令長がRoosevelt大統領に進言したが容れられず。
1941(S16)
1月中旬 甲標的による訓練開始。
1/26~27 長門の山本五十六を訪ねた大西龍治郎第11航空艦隊参謀長がハワイ木奇襲作戦の立案を依頼される。
2月 Husband E Kimmel大将が太平洋艦隊司令に就任。
2月初旬 大西参謀長より源田実第1航空戦隊参謀に真珠湾での雷撃攻撃について質問。源田は2週間ほどで作戦計画案を作成。
3月初旬 大西参謀長より山本長官に作戦計画案提出。
8月 アメリカによる真珠湾攻撃に関する作戦研究がKimmelや陸軍省に報告される。
9月初旬 甲標的母艦千代田の原田覚艦長らが連合艦隊司令部を訪問、真珠湾潜入攻撃計画を説明するも、却下。
10月初旬 甲標的による潜入攻撃計画の三度目の具申、条件付きで採用。
10/9~13 連合艦隊司令部での研究会。
 10/19  山本司令の意志は固く、軍令部総長永野修身大将が作戦実施を認める。
11/1 東條英機内閣が大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領を決定。
11/5 帝国国策遂行要領が御前会議で承認。
11/13 岩国航空基地で連合艦隊最後の打合せ。「百年兵を養うは・・・」(山本五十六)
 11/18  鹿児島での訓練を終えた艦隊が佐伯湾より択捉島の単冠湾へ向かう。

作戦開始

日本時刻 現地時刻 事 象
 11/18  鹿児島での訓練を終えた艦隊が佐伯湾より択捉島の単冠湾へ向かう。
11/22 日本海軍空母機動部隊が単冠湾に集結。南雲忠一中将指揮の旗艦・赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴を旗艦とした。「諸子十年養うは、一日これを用いんが為なり」
11/26 0800 南雲機動部隊がハワイへ向けて単冠湾を出航。
 11/27 0900  ホノルルにて、太平洋艦隊司令Kimmel大将、ハワイ方面陸軍司令walter C Short中将ら幕僚がウェイク島・ミッドウェイ島への増援協議。日本軍の攻撃を否定。会議後に日米交渉破局の報。
 11/28  William F Halsey Jr.中将が率いる第8任務部隊の空母エンタープライズほかが出航。
12/1 御前会議で、対米宣戦布告は真珠湾攻撃の30分以上前に行うべきことが決定。
12/2 1730 12/1 2200 大本営より日本海軍機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文発信。
 12/4  アメリカ陸軍機を満載した空母レキシントンほかが出航。真珠湾に空母不在となる。
 12/6 アメリカがパープル暗号による「帝国政府ノ対米通牒覚書」傍受。
12/7 2012 12/6 0042 伊号潜水艦隊から特殊潜航艇5隻が発進。
12/8 0130 12/7
0600
 日本海軍機動部隊から第一波空中攻撃隊として183/189機が発進。
0205 0640 ワード号事件。米海軍の駆逐艦が日本の特殊潜航艇を撃沈。
0215 0645 ハワイのサーチレーダステーションが日本軍偵察機の機影を発見するも、無線情報センターは「忘れろ」と指示。
0245 0715  第二波空中攻撃隊171機が発進。
0305 0735  日本の航空隊がオアフ島北端カフク岬を発見。
 0310 0740  日本航空隊、「トツレ(突撃準備体形作れ)」発信、信号弾発射。

攻撃状況

日本時刻 現地時刻 事 象
 12/8 0310 12/7 0740  日本航空隊、「トツレ(突撃準備体形作れ)」発信、信号弾発射。
 0319  0749  第一波空中攻撃隊が真珠湾上空に到達。攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐が各機に「ト・ト・ト・・・(全軍突撃)」を下命。
 0322  0752  淵田中佐より旗艦赤城へ「トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」打電。赤城のほか、広島湾の長門、東京の大本営でも直接受信。
 0323  0753  赤城より淵田機に返信「隊長、先の発信、赤城了解」
0325 0755 急降下爆撃隊により、フォード島ホイラー飛行場に250kg爆弾による爆撃開始。
作戦士官ラムジー中佐が平文電文の打電指示”Air Raid Pearl Harbor This Is No Drill !!!”
0327 0757 村田重治率いる雷撃隊が雷撃開始。淵田中佐は水平爆撃隊に「ツ・ツ・ツ・・・(突撃)」を下命。
0330 0800 戦闘機隊による地上銃撃開始。
8時過ぎ 加賀飛行隊、九七式艦上攻撃機の800kg爆弾がアリゾナの四番砲塔側面に命中。
0334 0804 ラジオ局KGMBが通常番組を中断、基地召集の米軍声明を読み上げ。
0335 0805 水平爆撃隊による戦艦爆撃開始。
0335 0805 太平洋艦隊Kimmel司令が司令部に到着。
0336 0806 アリゾナの一番砲塔~二番砲塔間の右舷に爆弾命中。
0340 0810 アリゾナ前部の火薬庫が大爆発。約1,000名の米乗組員が即死。米艦船がほぼ壊滅。
0410 0840 1340EST、Roosvelt大統領に真珠湾攻撃の第一報。
0424 0854 第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命。
0430 0900  KGBGアナウンス「これは演習ではありません。日本軍が島を攻撃しているのです。これはreal McCoyなのです。」
0830 1300 空中攻撃隊が順次母艦へ帰投。
0900 1330 日本海軍空母機動部隊が北北西に変針、日本への帰路に就く。

その後

日本時刻 現地時刻 EST 事 象
12/8 0900 12/7 1330 日本海軍空母機動部隊が北北西に変針、日本への帰路に就く。
1130 1600 12/7 2100 Roosvelt大統領以下、米軍首脳会議
1415 1745 2245 米軍首脳会議終了。
12/9 0259 12/8 0729 1229 Roosvelt大統領演説「アメリカ合衆国にとって恥辱の日」
12/10、Adolf Hitlerがアメリカへ宣戦布告。
 12/13  ニイハウ島事件で西開地重徳一飛曹が死亡。
 12/23  機動部隊が瀬戸内海の柱島泊地に旗艦、作戦終了。
12/24 Chester W Nimitzが太平洋艦隊司令官として真珠湾に着任。
 12/26  佐官級から昭和天皇への真珠湾攻撃軍状奏上。